そういえばハッカーとはなんだっけ?と, ふとおもって一言で答えられなかったので, ハッカーについて書かれた有名な書籍「ハッカーと画家」を手にとってみた. 答えは一番初めの「日本語版への序文」にかかれていた. そしてはじめのエッセイMade in USA(第0章, この意味するところは?)に論じられてた.
ハッカーの特徴というのが極端に米国的な素質
そうだったの!?という気づきを深堀りしたい. なお, 文章の引用はエッセイのJackさんの翻訳1を引用します(翻訳とネット公開に感謝).
ハッカーらしさとはアメリカ気質であるがわたしは日本人だった件
メイド・イン・USAのエッセイは, 書籍のなかでは「ハッカーと画家」とか「普通のやつらの上を行け」のエッセイに比べると, あまり読書感想文で引用されない部分だ. しかし, 改めてここに興味が湧く. なぜならば, 日本人についてかかれているからだ.
なぜ日本人はアメリカ人よりも良い車を作るのだろうか? ある人は日本人の文化が協調することを促すからだと言う。そのことは車に加わっているかもしれない。しかし、この場合、日本人の文化はデザインと職人技を重んじる点であるように思える。
何世紀もの間、日本人は私たちが西洋で持つものよりも品質が優れたものを作っていた。日本人が1200年に作った剣を見ると、あなたは名札にある日付が正しいとは信じることができない。おそらく、日本人の建具に常にある理由と同じで、日本人の車はアメリカ人の車よりも正確に組み合わさる。日本人はものを上手く作ることで頭がいっぱいなのだ。
日本人への言及は, 日本人気質とアメリカ人気質を対比して, ハッカー気質=アメリカ人気質という論を補助するものだ. この言及はハッカーやアメリカ人気質がビジネスの成功においてはよいものだという, オレはアメリカ人だしハッカーだからこの価値観はよいものだというバイアスがある気もしなくもない.
しかし大事なことは, わたしと, おそらくこの日本語の文章を読んでいる人は, 日本人でありアメリカ人でないということだ.
ハッカーらしさとわたしらしさはユーモアくらいしかカスってなくてアイデンティティクライシスした
わたしはたしかにハッカーに憧れていたかもしれないし, 今でも憧れている. しかし, その思想はわたしの素の発想だったか?それとも, 洗脳思想だったのだろうか?今振り返れば, ドグマに侵されていたようにも思う. プログラミングが好きだ, これは事実. そしてプログラミングで活躍するハッカーなる存在は輝いてみえる, これも事実. しかし, わたしがハッカーらしいかというとむしろハッカーらしくない.
実際に数年前にけっこう自己分析をしたことがある2. わたしらしさとはいろいろな要素で構成されているものであるが, わたしはハッカーらしさとは真逆である部分も多い. わたしは要領よく物事ができない. 考え込んてしまう. 無駄で非効率なことはそれが無駄だとわかっていても好きだ. 伝統的を大事にする思想や, 職人技なことも好きだ. これは, もしかしたらわたしというよりも日本人の気質だ.
しかし, ハッカーへの憧れから, ハッカーぽく振る舞うべきだと思っていたし, 実際にそれを心がけながらそのように振る舞ってきたこともあるが, 一方で網羅的に専門的なところまで徹底的に学びたい変質的な欲求だったり, どうでも良い部分をこだわりたい的な部分とコンフリクトする. そして, 才能がないことで頑張ろうとすると, つらくなる. ネクラが社交的なように振る舞うと辛い. ピカチュウがハッパカッターを練習するようなものだ3. どうもアクセルとブレーキが同時にかかる.
なんだかハッカーへの憧れとは, 明治時代の文明開化や太平洋戦争の米国への憧れのような, 植え付けられた外来思想な気もしなくもない. 自分に合わないブカブカのファッションをきてドヤ顔して粋がっている若造だった. ハッカーらしさとわたしらしさとは, せいぜいイタイタしい自虐ネタで笑いを取りたいみたいなユーモアセンス程度しかカスってない気もする. それはわたしは落語が好きで落語の影響が価値観形成に強く影響を与えているからかもしれない.
アメリカ的ハッカーマインドに対する日本的カウンターマインドはデザインか?
ふてくされたところでさらに読み進める. Appleがハッカーらしさではない成功例というのがとても興味深い.
Apple は一般的なアメリカのトレンドに対する興味深い反例である。もし素晴らしい CDプレーヤーを買いたい場合、あなたはおそらく日本のものを買うでしょう。しかし、もし MP3プレーヤーを買いたい場合、あなたはiPodを買うでしょう。何が起こったのか? なぜ Sony は MP3プレーヤーを支配しないのか? なぜなら Apple は現在コンシューマー・エレクトロニクスのビジネスを行っており、他のアメリカ企業とは異なり、良いデザインにこだわっているからである。もっと正確に言えば、Apple の CEO がそうである。
私は iPod を手に入れたばかりで、iPod はただ素晴らしいだけではない。驚くほどに素晴らしいのだ。iPod が私を驚かせるには、自分が持っていたとは知らなかった期待を満足させなければならない。それらの期待を発見するだろうフォーカスグループはない。素晴らしいデザインだけができるのだ。
Apple は有望な事例である。彼らはソフトウェアを書くのに必要とする短気でハッカー的な精神を何とか十分に保った。それでも、あなたが新しいApple のラップトップを手に取ると、それはアメリカ的には思えない。完璧すぎるのだ。スウェーデンか日本の会社によって作られたに違いないかのように思える。
「もっと正確に言えば、Apple の CEO がそう」というのは, スティーブ・ジョブズのことだ. ジョブズの美意識は禅思想につよく影響を受けているらしい4. 禅思想とは, メイド・イン・ジャパンである. おや, ここにヒントがあるのか?
わたしは最近坐禅しすぎてハゲないようにとりあえず頭だけ丸坊主にしたくらい禅思想に興味がある. 禅のどのへんがジョブズに影響を与えたのかいまいち言語化できないが, たぶん「無駄を削ぎ落としたシンプルさ」的なところか? ここは将来深堀するとして, いずれにしろ, ハッカーマインドに対するようなカウンターマインドとは「デザイン」ということであり, それはアメリカ人気質というよりもむしろ日本人気質が優位だ.
大事なことはドグマの罠に陥らないこと
エンジニアという職業だからハッカーが好きだとか, プログラミングが好きだからハッカーマンイド憧れる, 別にそれは悪いものではないが, それが気づかないうちに洗脳されたようなものならば, それに対するメタ認知を持つことはよいことだと思う. 思想に気付き, なお自ら選択してその世界に飛び込むことはよりその世界に酔いしれることができる.
わたしもハッカー文化は好きだ. ただわたしは短気なのでブチ切れているのは, それが自分の頭でひねり出したものではなく「ハッカーと画家」とかの書物から植え付けられたこと. かっこよさに酔わされて懐疑主義を忘れたこと. イライラする, ふざけるな! この認知洗脳に対する対抗ハックとして, じゃあ日本や私にとって「ハック」とはなにを意味することなのかを怒りと共に概念ハックしたいと思った.
メイドインジャパンのハッカーマインドとは?
ただ, このことについてなんとなく考えても半年くらいモヤモヤしてしまった. はじめの発見から時間が経ってしまったので, 一度文章にしてみた. ジョブズにたいしてもう少し調べたりまたは日本企業のグローバルでの成功事例をみれば考察は進むかもしれない. または禅や芸道にも興味がある. とくに「型破り」に興味がある. むしろだれか考察してくれたら嬉しい. なんだかメイド・イン・USAがアメリカナショナリズムのような雰囲気があるのならば, 日本語による日本人のためのポエムがあってもいいものだ.
ただ, こんな中途半端な考察を公開するのも, ひとつメッセージを最後に添えるとしたらジョブズもいっているように「ドグマの罠に陥らないこと」5.
Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking.
他の人達の思考に人生を左右されるようなドグマの罠に陥ってはいけない。
See Also
あなたはハッカーですか?ハッカーと画家から学ぶハッカー気質について。 | Futurismo
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🖊ツェッテルカステンで自己分析してみた - アイデンティティクライシスを経験している青年へ | Futurismo ↩︎
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ピカチュウに「はっぱカッター」を覚えさせてはいけない。自分のタイプを知ることの重要性 | 八木仁平公式サイト, このフレーズがかなり好きだ. よく思い出す. ↩︎
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ジョブズは禅が好きというのはなんとなく知っていたが, 伝記を読んでいると, 毎日師匠のところに通って出家も考えてたことに驚いた. 若者で坐禅にハマる人は日本人だってあまりいない. まさかの坐禅ガチ勢じゃないか! 出家していればネルケ無方さんみたいに只管打座をだったかもしれないと思うとおもしろい. スティーブ・ジョブズ I | ウォルター・アイザックソン, 井口 耕二 |本 | 通販 | Amazon, この記事も書籍の内容に近い, Apple スティーブ·ジョブス 7ヶ月間のインド旅を経て東洋の瞑想と禅宗への神秘なる目覚めと生涯|SABRE. ↩︎
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ジョブズの名言の引用で記事を終えると, なんだかジョブズへの憧れにとらわれるようで, それがドグマでしかない気がした. スピリチュアルと禅が混じっている気がする. そもそも直感に従えとか, 瞑想におけるアンチパターンでしかない. 直感とは単なる妄想でしかない. 内なる声のドグマの罠もある. ↩︎