AIを脳の自転車として乗りこなすことがAIうつを乗り越えるキモ
昨日投稿された動画の感想.
AI疲れは2つに分けられる. ひとつはSNS疲れ、もうひとつは決定疲れ. わたしの感想としては、決定して疲れることは単なる身体疲労なので、よい疲れ=ユーストレスともいえる. 決定疲れはそのあと休まないことが問題.
自転車とは、足の技術による拡張といえる. 自転車をこいでいると、それがまるで自分の足のように感じる. とくにウーバーイーツをよくやっていたときは、1日10時間以上自転車にまたがっていたので、つよくそれを感じる.
自転車は楽しい. 自分の行動の可能性が広がる. 自転車に乗ればどこだっていける感覚になる. 実際、山の上だったり、グンマー帝国にもいけた. この楽しさがそのままAIに使える気がする.
AIとは思考機能の拡張だ. 東洋思想だと、マナスやチッタに当たる. 逆に言えば、チッタとは言語の生成という意味に限定したほうがより適切にも思う. 脳は臓器であり、思考は汗.
AIを使えば、思考を加速することができる. ただ、それによって楽しさが損なわれるわけではなく、可能性が広がるのだ、それは自転車で行動範囲が広がるように.
自転車よりも電車のほうがより遠くにいける. 東京から名古屋まで自転車でいくのは愚かしい趣味だ. ここの違いはなんだろうか?ひとつはカロリーを消費すること. もうひとつは、前を向いているかということ. 電車の座席でくつろいでいるよりも、鉄ちゃんのように先頭車両で前を向くと楽しい.
同じように、AIに全部お任せするのは楽しくなく、自分の脳カロリーを消費して、Human-in-the-loopして、コパイロットすることが楽しさのキモのようにおもう.
自動化された結果にはワクワクしないが、自動化する過程そのものにワクワクする
AIやロボットによって世界が自動化効率化した先にある未来にワクワクしない
AIエージェントの誕生によって人間の仕事はなくなるかもしれないが、たぶんこれから三十年、AI革命が社会実装させるまで仕事はなくならない。IT業界の仕事はその自動化のための最後の仕事として30年くらいはずっと需要があって、ついになくなったときには年金をもらえる年齢になっているだろう.
たしかに、今現在は、わたしのなかでAI駆動開発がとても楽しいかもしれない. 日々驚きが多い. 直近ではハーネスエンジニアリングを学ぶことはとても楽しい. ただ、これは注意が必要なワクワク感かもしれない.
新規性に対してワクワクすることは生理的なものだが、じゃあお菓子とかポルノを享受しつづけるとのかわらないのでは?AIポルノを消費しながら定年になるまでお金を稼ぐ未来に絶望しているのだ. それはドラッグ/VR/ベーシックインカムで家畜化されているような感覚がある.
世界のオートメーションを推進して定年を迎えるのか?それに何の意味があるのか?自動化効率化が達成された世界に疎外感を覚えるからか?エンジニアの初期は土木エンジニアだった. 鉄道や道路という通信インフラを今は享受している. ただ、道路網が整備された今の社会は豊かなのか?
正直なところ、自動化された自分がいなくても回る社会はどうだっていいのだ、それを実現するために苦しみ、嘆き、悲しむ自分の物語のほうがよっぽど重要だ.
自動化された結果にはワクワクしないが、自動化する過程そのものがワクワクする.
AI駆動開発で強いのはドイツ型、楽しいのはブラジル型
宮台真司さんの最近発売された宮台式人類学1の書籍で、ドイツサッカーとブラジルサッカー論が紹介されていた. これは人類学者の今福龍太さんの論.2
【宮台式人類学②】楽しきサッカー、没人格化が育てた社会学、未開の合理を発見した人類学 - YouTube
以下、AI説明.
ドイツサッカーは近代的合理性の産物. 組織的プレス、戦術的規律、チームとしての機能美。勝つために最適化されたシステム。ブラジルサッカーはカーニバルの論理に近い。個人の即興、ジンガ(身体の揺らぎ)、ドリブルの詩学。勝利よりもプレーそのものの快楽が先にある.
優れているとは何か?勝つことが「強さ」なら、ドイツは確かに強い. しかし、見る者を魅了し、プレーする者が喜びを感じ、サッカーという文化を豊かにするのはどちらか?
最近はやっている、ハーネスエンジニアリングとはドイツ管理産業の極致だ. 規律・設計・予測可能性. クラブのVibesやハッカーの諧謔性、即興・創造・フロー状態はいらない. ソフトウェア開発で強いのはドイツ型、楽しいのはブラジル型.
ハーネスは力を奪い、コパイロットは力が沸く.