会社を休職していたのだけれども、今日ようやく復職の許可が降りた。

1年と8ヶ月間休職した。長かった。5回も復職判定面接をして、ようやく許可が降りた。こんなに長くなってしまったのは、いろいろな要因があるのだけれども、今までの経緯を振り返ってみたい。

以下、長文。TL;DR; 産業医との相性が悪かった。

休職に至るまでの経緯

前提として、もともと学生のころから鬱の症状があって、気分の浮き沈みを繰り返していた。精神科には、学生の頃からお世話になっていた。学生の頃は2年間通った。社会人になってからも3,4年前から精神科に通院していた。

気分は浮き沈みがあり、特に5月と11月(季節の変わり目)には周期的に鬱になっていた。具体的には、鬱になると布団からでられなくなる。布団から出ても出発の身支度に1,2時間かかり、学校や会社の遅刻を繰り返す。休日は一日中寝ていたりする。

ちょうど、11月の気分が落ち込みかけている時に、レガシーコードの調査を任された。どのくらいレガシーかというと、

  • 一つのメソッドが1000行以上
  • コピペコピペの嵐、同じようなクラスがいくつもある。作成者は継承という概念を知らない
  • 作成者不明なのでコードに疑問をもっても誰に相談すればいいのかわからない
  • 意味不明な変数名
  • 当然テストコードはない

気分は一気に落ちていって、朝起きれなくなった。遅刻を二週間連続で繰り返して休職。情けない、豆腐メンタル。今思うと、なぜそこで踏ん張れなかったのかと思う。頑張れよ自分。

休職してから3ヶ月で完治

仕事から離れると、すぐに回復した。仕事の質が鬱になった原因だったので、仕事から離れたらすぐに元気になった。

元気になって、やることもないので、TOEICの勉強をはじめた。一日10時間、2ヶ月で600時間勉強した。鬱の人がこんなに勉強できるだろうか?鬱は治ったと実感した。

主治医に、もう元気モリモリです、と相談したら、仕事にすぐに戻ると再発の可能性があるので、リワークをしてみてはどうかと言われ、3ヶ月間リワークに通うことになった。

第1回復職判定面接

リワークの終わり頃にいわゆる出合い系サイトにハマってしまい、生活リズムが乱れてしまった。お金がないので、実際に出会うまではいかないのだけれども、スマホの電池が切れるまでずっとサイトのタイムラインを眺め続けるというようなことを繰り返した。サイトをチェックすることに中毒になってしまい、夜遅くまで起きていた。

そういう状態で、会社の復職判定面接に望んだので、睡眠リズムが一定ではないということで復職不可となった。復職の条件は、

  • 生活リズムを一定にすること

これは、最もなことで、仕方がないと思った。

第2回復職判定面接

復職判定面接で復職不可となったので、落ちこんでまたひどく鬱になった。布団から出ることができず、一ヶ月ほとんど寝ていた。

このままではダメだと思い、青春18切符を購入して旅に出た。一週間かけて、神戸、大阪、京都を観光して帰ってきた。そしたら、なんだか元気になってきた。旅行によって、鬱屈した気分も晴れ、生活リズムも安定してきた。旅行によって、元気になったのだ。

また、落語にハマった。スカイプでたまたま知りあった人と新宿末広亭に行ったら、落語をやりたくなってきた。もともと大学生の時は、落語研究会に入っていた。なので、社会人の落語研究会に入会した。

生活はメキメキと安定してきた。昼間はTOEICの勉強をして、夜は落語の稽古をした。そういう生活を1,2ヶ月続け、元気になった。2度目の復職判定会議に望む。

2度目の判定会議で、産業医が1回目から変更になった。

この産業医との相性が悪く、ここから一年の間、復帰できなかったと言っても良い。

第2回目の復職判定会議は、結論としては、復職できなかった。その理由は、生活リズムではなくて、お金の使い方が粗いからだった。

どういうことかというと、月に100万つかったと言ったら、この人は精神異常者だとみなされて、復職不可となった。

どうして、100万をつかってしまったか、その内訳を説明したい。内訳は、以下の通り。

  • 学生特例で免除されていた年金の追納金 65万
  • 結婚相談所入会金 10万
  • 社会保険費 6万
  • 生活費 19万

落語研究会にはいり、お年寄りとふれあう機会が増えた。老人ホームやデイサービスの施設で落語をすることもあった。そんな折に、年金の追納金のお知らせが来たので、お年寄りのためにも、払えるものは払ってしまおうと、65万を払った。また、結婚相談所に30歳までに入会すると、入会金が6万円安くなるという割引を見つけたので、10万払った。出会い系サイトにハマるよりも、結婚相談所に登録したほうがよっぽど健全だ。次で復職できると思い込んでいたので、復職が決まったらすぐに婚活をはじめようと思っていた。

というわけで、復職の条件は

  • お金の収支を記録して、3ヶ月間分の記録を提出すること。

第3回復職判定面接

また、産業医さんには、自分を復職させようとしない、もう一つの理由があった。曰く、自分は、産業医さんからみて、発達障害者だと思われた。そのため、大学病院に行って心理検査と知能テストを受けることになった。

心理検査の結果、まったく異常なし。発達障害ではなかった。

IQテストは、89だった。IQは平均が100なので、自分はどちらかというと頭が悪いということがわかった。これには少し落ち込んだけれども、そのころGRITという言葉をしった。IQがたとえ低くても粘り強く努力すれば、実力を発揮できるというもの。これを励みに、TOEICの勉強を頑張った。

お金の収支について、無駄使いはしないものの、自分の自己啓発のための投資にお金を少し使いすぎた。具体的には、TOEICの本をたくさん買ったり、TOEICセミナーに参加したりした。このころになると、休職してからのTOEIC学習時間が1500時間に達した。そして、目標の860スコアを上回り、895スコアを獲得した。GRITが証明された瞬間である。IQが低くてバカでも、粘り強く努力すればTOEIC900も夢じゃないのだ。

そして迎えた第3回復職判定面接。結果は復職不可。理由は、お金の支出が収入よりも、多いからと、TOEICの勉強をして、仕事に向けての勉強をしていないから。

そして、復職の条件は、

  • お金の支出を収入よりも抑えること
  • Javaの資格を取ること

となった。

第4回復職判定面接

趣味はすべて禁止、飲み会参加も禁止、衣類の購入も禁止、とにかく無駄遣いは禁止になった。落語研究会もお金がそこそこかかるのと、時間が思っていた以上にかかるので、やめてしまった。趣味なし、楽しいことなし、人生はなんて虚しいものか。なんのために生きているのかわからなくなってきた。気分の落ち込みは、明らかに産業医さんの価値観に対する理不尽さからくるものだった。

TOEICで895スコアを取得したので、もう英語の勉強はやめようと思った。代わりに、流行りの機械学習の勉強をはじめた。これが面白く、また世間でも盛り上がっていて話題に尽きないので、のめり込んでしまった。

Javaの資格、Java SE Silverの勉強を始めたのだが、一日30分時間を取ることにした。これにはわけがあって、受験費が高額なので休職期間中は受験しないと決めていたのと、復職が決まったら、通勤訓練というものをやらされて、会社の図書館に閉じ込められるので、その時間に集中して勉強しようと思っていた。しかし、これが産業医さんの思いとすれ違っていて、また怒りを買うことになった。

4回目の判定会議、1日12時間勉強しているけれども、Javaの資格試験の勉強は30分しかしていないと報告したら、激怒された。

産業医さんは、自分のJavaのスキルが足りないから難しくて鬱になったと思い込んでいた。なので、自分は、そうではない、自分のJavaのスキルが足りないのではなくて、与えられたコードが汚かったので、鬱になったと弁解した。そもそも、うちの会社は組込みソフトの会社なので、Javaは正直あまりつかわれていないので、この資格は重要ではないといった。そしたら、また激怒された。汚いという表現を面談の場で使うべきではない、そういう表現を使うあなたは幼稚だ、さらに鬱になった原因について会社を責めていると言われた。鬱になった原因は全部自分にあると、自虐的におもわなければいけないのか?

ということで、今回も復職は不可。今回は、細かく復職の条件を指定された。

  • Java SE Silver の試験に合格すること
  • 反省レポートを書いて提出すること
  • お金の収支について、3万円の黒字を出すこと
  • 生活記録表を記録して、何時に何をしていたのか詳しく報告すること
  • 食べたものを記録して提出すること。レコーディング・ダイエットすること。

第5回復職判定面接

Java SE Silverの試験は楽勝だった。3日で取得した。しかし、その受験料が3万近くかかり、それに加えて3万の黒字をださなければいけないので、お金を本当に切り詰めて生活することになった。そもそも、なぜ3万の黒字をださなければいけないのかも理解していない。

ここで、運悪く睡眠リズムが崩れてしまう。これは、主治医に夜中に中途覚醒してしまうと訴えたところ、クエチアピンという睡眠薬を2錠処方された。これを飲んだら、毎日12時間眠るようになった。はじめは薬のせいではないだろうと思って、自分の意思が弱いのだろうと思い込んでいたが、医者に相談したら、薬のせいだとわかった。睡眠リズムが乱れたので、次回の復職判定会議も延期された。

休職満了期間が残り3ヶ月になってきて、このままだとクビになってしまう。

自分も焦っていたが、両親もとても焦っていた。一人暮らしをしていたのだが、母親が自分のマンションから3分のところにあるマンスリーマンションに引っ越してきた。これは、とてもありがたい。朝は起こしてくれるし、お弁当も作ってくれるし、なにより夕食に手料理が食べられる。お金も節約できる。母親の愛情を感じ、何としてでも復帰しなければいけないと思った。

そして、迎えた第5回目の復職判定会議。万が一のこともあるので、両親の同席が求められた。社会人の面談に両親が出て行くなんて恥ずかしいと思ったが、父親が一緒に参加することになった。

復職の条件は完璧にクリアしていた。文句のつけようがない。父親がいるせいか、普段とは空気が違い、受け入れようという感じを強く受けた。事前に提出した反省レポートについていくつか質問を受けたあと、復職許可が決定した。

おわりに

社会人になってから、メンタルを病んで休職することは、学生時代から想定していた。なので、就職活動では福利厚生が充実しているところを選んで受けた。幸か不幸か、その恩恵をはや数年目にしてうけることになった。傷病手当金(休職中の収入源)は国が定める決まりで、お金をもらえる権利はあるのだが、もうしわけない、早く会社に復帰したいといつも思っていた。カウンセリングも無料で2週間に一回受けることができた。これはとても支えになった。これらの福利厚生制度には、本当に感謝している。

ただ、復職するにあたって、こんなに大変だとは想定していなかった。自分は2ヶ月で復職できるものだと思っていたら、2年近く復職させてもらえなかった。

自分は運が悪かったのだろうか、それともこれが普通の対応なのだろうか?考えるとまた鬱になるので、深くは考えないことにして、とりあえず将来のことを考えたい。