人生の休憩地点にいるので、人生をここで振り返って見ようと思う。

過去を振り返るメリット

  • 人生は過去の決断の積み重ねで成り立っている
  • 過去を分析するすることで今の自分の心境が明確になる。
  • また、これから進むべき道がみえるかもしれない.

自分はなにもので、どこへ向かって進むべきなのか、 そういう点が明確になる効果が期待できる.

小学生

小学 3 年生、家にパソコンがやってきた!

そして、母親がパソコンの勉強を始めた。 母親がキーボードをうつ練習をしているとなりで、 真似してブラインドタッチの練習を始めた. 我ながら早熟である.

そして、小学 4 年生のときに、なんと自分用の PC を手に入れる. コンパック製。母親の会社でいらなくなった PC をもらったのだった. そのなかには、Windows95 が入っていて、Excel や Word で遊んだ. ゲームの攻略情報を Excel や Word にまとめて管理したりした. しかし、プログラミングをするには至らなかった.

母の影響でパソコンに興味をもつ

パソコンが家にやってきて依頼、母はパソコンにハマってしまって、 夜な夜なパソコンやネットワークの勉強をしていた。 そういう後ろ姿を毎日見ながら寝ていた. 家には、どんどん IT 系のわけの分からない本がたまっていく。

そういう姿をみて、パソコンは熱中できるなにかがあると、 幼いこころで感じたのだった.

中学生

パソコンとは無縁の生活。なんにもやらなかったよ。

高校生

高校一年生の夏、お年玉が 20 万たまっていた。 なにか大きい買い物をしようと考えて、購入したものは、

ソニー VAIO だった。

2 台めの自分用のパソコン。今度は明確な目標を持っていた。

ゲームがつくりたい

中学高校と、ゲームっ子だったので、 プログラムといえばゲームのイメージが強かったのでそう思った.

ゲームをつくるためには、プログラミング言語が必要だ。 ここで、C 言語と出会う。独習 C を購入して、夏休みをつかって独習。 最終的には、コマンドラインで使用するカレンダーアプリが完成した. また、ホームページビルダーをつかって、簡単な自分の Web ページをつくった.

そのあと、モチベーションが途切れてしまってゲーム製作には至らなかった. 血気盛んな時期だったので、VAIO はエロビデオを見るための箱となったのだった。

数学と母親とコンピュータ

高校は受験高に通っていて、しかも帰宅部だったので、ガリ勉だった。 平日 5 時間、休日10時間の勉強を 3 年間しているような学生だった。

得意科目は、数学だった。 なので、漠然と数学が生かせるような仕事につきたいと考えていた。

母親のパソコン好きや VAIO 購入もあって、自分が選ぶべき道は エンジニアではないかと、考えるようになった。

当時、バックトゥーザフューチャーが大好きだったので、 自分はマッドサイエンティストになって怪しい発明をしたいと考えていた.

浪人生

大学受験に失敗し、一浪。

哲学とクラシック音楽にハマる。コンピュータとは無縁の生活.

大学生

浪人しても大学受験に失敗した。自分は、うつ病にかかった。

いちおう、情報系の学問を学ぶ大学には入学できた。 まったくやる気が起きなくなってしまい、一年間ひきこもっていた。

大学 2 年生になって、狂ったようにクラシック音楽とオペラのコンサートに 通いつめるようになって、ようやくうつから脱出した。 そんな感じだから、大学生のときはほとんど勉強をしなかった。

一応、学校の授業で Java やアルゴリズムの基礎を学ぶものの、 それにたいして、深い興味を抱くことはなかった。音楽にしか興味がなかった。

今では、大学生のときに勉強をしていなかったことについて、 大変に後悔している。人生をやり直せるならば、大学生のときに戻りたい。

院にいって勉強をしようかという選択肢で悩んだが、 うつ病が完全に治りきっていない状態だったので、 うつになって院を中退することが怖かったので、就職を選択した。

就職活動

就活は “組み込みソフト + 大企業の子会社 + 関東” でリクナビで検索して消去法で残った 15 社を受けた.

組み込みソフトを選んだのは、大学で抽象的な数学に嫌気がさしていたので、 ソフトウエアの動作を生で感じることができる組み込み系がいいと思ったから。

大企業の子会社を選んだのは、大企業はうつになっても休職できるから。 また、研究開発職につきたかったので、院卒でなくても研究開発職につくためには、 研究開発だけを専門にやっている会社に入るのがよいと考えたから。

関東を選んだのは、クラシックやオペラを見にいきたかったから。

消去法と雰囲気で選んだ会社に就職。

社会人

入社1、2年目

社会人になったこと、一人暮らしできたことがうれしくって、 自由に趣味を楽しんでいた。 家に帰ってもプログラミングをすることはなかった。 プログラミングには大して興味がなかった。

会社では、C 言語を学び、ストレージ装置の制御ファームを開発する業務についた. ストレージ開発では、10 年前からのデバッグ手法(print debug)でテストを しているような感じだった。それが当たり前だと思っていた。

しかしあるとき、常識を覆す本に出会ってしまう。

TDD との出会いである。こんな方法があったのか!と夢中になった。 プログラミング面白い!と思った最初のきっかけである。TDD に夢中になった。

入社3、4年目

そのころ、世の中ではカフェにパソコンを持ち込んで作業をすることが流行っていて、 自分もそれにあこがれて VAIO をバッグに入れて休日はノマドワーカーになっていた。

普段の生活のなかで、パソコンをいじっている時間が極端に増えた。このブログも、立ち上げた。

はじめはアフィリエイトのためにブログ記事ばかり書いていたのだが、 どうもアフィリの才能がないことに気づき、次第にプログラミングに休日の時間を割くようになった.

ある動画がきっかけとなり、部屋のオートメーションハックに熱中した。

このころの技術は Teraterm マクロだけれども, それでも、ハッキングの楽しさを知った体験だった。

気づけば、休日のほとんどをパソコンのハッキングに費やすようになっていた。

入社 5, 6 年目

そうして、プログラミングの楽しさにようやく目覚めたのだが、 自分には基礎がないことに気づいた。 大学生のとき遊んでいたし、仕事は定形の作業をこなしているだけなので。

猛烈に勉強がしたくなった。そこで出会ったのが、MOOC だった。 MOOC で、自分のコンピュータサイエンスを叩き直そうと決意した。 日本で一番 MOOC を頑張る社会人を目指して、とにかく講座数をとった。

自分のスキルは間違いなく向上していた。喜びの絶頂を感じていた。

ただし、2 年が過ぎてきたころ、MOOC にあき始めた。

そして、次第にうつ病になりプログラミングに興味を失ってしまった。現在に至る.

過去の経験から得られること

過去を振り返ると、偶然の出会いの数々によって今の自分がいることを認識した。

自分は、たまたまプログラミングに感動しプログラミングが好きになってきたのだった。

最近、プログラミングに興味がなくなってしまった原因は、病気のこともあるけれども、 感動がなくなってしまったことが原因としてあるのだろう。

感動が欲しい!感動が、今のうつの状態から抜け出せる処方箋だ。

これからどうするか

感動はどのようにして得ることができるのだろうか?

それは、感動の対象を心の底から尊敬し、感動を得られると信じることが大事だと思う。

そう思うのは、大学生のときに音楽に狂った自分の体験からだ。すべての経験は無駄ではない。

そうすると、次の疑問はプログラミングから感動をえるためにはどうすればいいだろうか? ということだ。

プログラミングの喜びは、以下のように分類してある。